なぜ犬と暮らそうと思ったの?
こんにちは!
犬になりたい犬育ブロガーの瀧沢かいるーです。
今日は、なぜ犬と一緒に暮らすのかということについてです。
犬は家族、犬は友達などとよく言われています。
近年、犬と人間との距離が近くなってからそう言われるようになってきました。
わたし自身は、まだ子どもの頃、そういった考えがなかった頃から家にいた犬が一番の友達でしたし、家族でした。
でも、実際には家族や友達などと言われているわりには、犬は家族扱いもされていないし、友達として信頼もされていないなと感じます。
引っ越しの時や長期休暇前に捨てられたりというのは論外にしても、犬だけ家の中の狭いところに閉じ込めるとか、外に繋がれるとか、自分の家の中を自由に移動できないとか、命令ばかりされて言うことを聞かされるとか。
そこには、犬に対して家族や友達と口先だけで言いながら、実際には犬を自由にさせたら何が起こるかわからない、という不信感があるように見えます。
犬を信用も信頼もしてはいけない、というのは学生時代のトレーナー講師の言葉です。
その講師はそう言いながら大型犬を2頭も飼っていたのですが、だったらなぜ犬となんて暮らすのでしょう。
わたしなら、信用も信頼も出来ない相手と一つ屋根の下で暮らすなんてまっぴらだし、犬にしたって自分のことを信用も信頼もしてくれない相手と暮らすのなんて嫌でしょう。
だったら、一人でいたほうがよっぽどいいはずです。
今、犬と暮らしているというあなたは、なぜ「犬と暮らそう」と思いましたか?
わたしは単純に、「犬と暮らしたい」と思ったから一緒に暮らしています。
それでいいのだと思うのです。
犬と暮らしているという飼い主さん、これから犬と暮らしたいと思っている人、ぜひ読んでみて下さい。
目的のために犬を飼う
あなたはなぜ、犬を飼おうと思いましたか?
犬と暮らそうと思いましたか?
単純に大好きだから?癒しを求めて?一人暮らしが寂しいから?
ペットショップで目があって衝動買い?
お子さんのいる家庭なら、子どもが欲しがったからなんて理由もあるでしょう。
聞いてみると、「とある目的のために犬が必要だったから」という答えをチラホラ聞きます。
わたしは特にボーダーコリーの飼い主さんと繋がりが多いのですが、ボダ飼いさんは特に「目的のために」という傾向が強いなと思います。
オビディエンストレーニングをやってみたい、ドッグスポーツに挑戦してみたい、シープのトレーニングに挑戦してみたい。
まず、「これをやってみたい」という目的が先で、そのために犬(ボーダーコリー)が必要だったから飼ったという人がわたしの周りには多いように感じます。
とある雄のボーダーコリーの飼い主さんも、アジリティをやってみたかったそうです。
でも、その子はドッグスポーツが出来ない子でした。
生まれつき軽度の股関節形成不全で、普通に歩くことは出来る(けど若干スローモーション)、でも激しい運動はダメ、ドッグスポーツなんて論外、というような子でした。
「それを聞いた時は残念でならなかった」と飼い主さん。
ドッグスポーツがやってみたくて、そのためにはボーダーコリーが最適だと聞いて飼ったのに、その子は自分の目的を果たせる子ではなかった。
この飼い主さんのように、「犬を飼う」ことそのものが目的ではなく、「犬を飼って〇〇をやる」というのが目的になってしまっている人は多いです。
ボーダーのようにドッグスポーツに限らず、一緒にお出かけしたいとか、繁殖させたいとか、インスタ映えのためなどという人もいます。
だから、飼ったその犬が目的を果たせない場合、その犬への愛情が失われることがあるのです。
現に、そういう理由で手放されたボーダーを見たことがあります(いい里親さんに巡り合えて幸せな第2の犬生を歩んでいますが)。
年をとってドッグスポーツが出来なくなったから手放されるということもあるようです。
それに、アジリティやディスクで活躍しているいれば、飼い主はそれさえできれば満足なので、それ以外のことには全く手をかけられていないということがよくあります。
雄のボーダー君の飼い主さんも、ドッグスポーツが出来ないのならその子を手放して、新しくちゃんとスポーツが出来る子を飼おうかと思ったそうです。
しかし奥さんがそれを聞いて、
「こんなに手がかからなくて優しくていい子なのに、スポーツが出来ないっていうたった一つの欠点があるだけで捨てるなんて、あんたは最低な人間だ」
とブチ切れたそうです。
「そんなこと言うならお前を捨ててやろうか」
と言われたそうです。
それで目が醒めたとか。
犬は目的を果たすための「道具」ではない
わたしとしてはこの奥さんに心から賞賛の拍手を送りたいし、感謝したいです。
飼い主さんは、ボーダー君を自分の目的を果たすための「道具」として考えてしまっていたのです。
それが、奥さんの言葉で目が醒めた。
ドッグスポーツが出来ないから0点だったそのボーダー君の良いところが、奥さんのおかげでたくさん見えて来るようになったと言います。
おかげで、道具ではなく一緒に暮らす家族として、可愛くなってきたとか。
また、この飼い主さんだけでなく、子どもがいる家庭でも犬はよく「道具」として扱われることがあります。
子どもの「情操教育」になるからと犬を迎えるのはありがちですが、これも間違いのもとです。
親自身が動物の気持ちを思いやって、慈しんで育て、接している姿を見ることで子どもは思いやりの気持ちなどを学習し、それが真の意味での動物を介した情操教育です。
別に、犬が子どもを教育してくれるわけではないし、子どもがストレスの原因になって問題行動を起こしている犬はたくさんいます。
親が犬のことを情操教育の道具として見ていると、子どもも犬を目的を果たすための道具として扱っていいと思ってしまいます。
これは、子どもがいるという家庭の犬の問題行動を聞いているとつくづく思うことです。
また、ウォーキングのおともとして飼われることも多い犬ですが、これもある意味では一人ではウォーキングが寂しい・続きそうにないから、という目的を果たすための道具になってしまっていると言えます。
犬は、「目的を果たすための道具」ではないし、自分の目的を果たすために犬を飼うことは後々の大問題の原因になるのです。
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癒しを求めて飼う
犬に限らず、猫やその他ペットを飼う理由としていまだに多いのが、「癒しを求めて」というもの。
何かと忙しい現代社会、誰もが癒しを求めているものなのでしょう。
しかし、癒しを求めて飼ったはずの犬猫を捨てる人がいまだに後を絶たなかったり、人間の癒しの犠牲になっている犬猫が多くいるのも現実です。
可愛い子犬に「癒し」を求めて、犬を飼える環境ではないのにペットショップで衝動買いなんてしてくると、期待を裏切られて大変なことになります。
癒しどころか、新たな悩みを抱えることになるのです。
子犬はチョロチョロ歩き回ってはかたっぱしから家具を噛んで回り、床はオシッコの染みだらけになります。
それに困ってサークルに入れれば今度はずっと吠えるようになります。近所から苦情がくるかもしれません。
忙しいからとたまにしか散歩に連れて行かないと、外に出したらリードを引っ張りまくって人や犬に飛びついていくようになるます。
家にいればいたで家族に噛みつくようにもなります。
しつけ相談に来る飼い主さんで、一番多いのがこのパターンです。
要は、犬を飼える環境ではないのに「癒し」を求めて犬を飼ってしまったことがそもそもの発端なのです。
癒しを求めるような忙しい人は、ほとんどが犬を飼える環境にはありません。
そういう人が犬を飼って、犬のお世話をきちんと出来るくらいの時間を確保できることはまずあり得ないのです。
犬に「癒し」を求める前に
犬に癒されようと思う前に、まずは人間が犬に対してやるべきことをしっかりやらないといけません。
質の良い食事を食べさせて、毎回排泄には外に連れ出し、毎日2~3回は散歩させて、人間社会で共存するためのルールを覚えてもらい、犬社会にもなじませて、毎日しっかりと必要なコミュニケーションをとる。
犬にとって信頼できる飼い主になり、嫌なことは無理強いせず、犬の意思を尊重し、犬にとって快適な生活が出来る環境を提供する。
これ、全部やろと思うととっても大変です。
癒しを求める忙しい人に、こんなことが全部しっかり出来るとは思えません。
その犬種のことは何も知らず、また自分のライフスタイルが犬の飼育に適しているかも考えず、世話を出来る時間があるかどうかもお構いなしに、まるでおもちゃでも買ってくるように簡単に犬を飼ってしまう人がとても多いのです。
人間の「癒し」の犠牲になっている犬のなんと多いこと。
家に犬が1頭増えるということは、自分の生活が激変するということです。
それなのに人間は、自分の生活は極力変えず、犬が人間に合わせるのが当然だと思っているのです。
散歩は短時間あるいは時々行くだけですませ、不規則な生活を受け入れさせ、1日10時間を超えるような留守番を平気でさせます。
あとは家の中で監禁です。
犬はたまったもんじゃありません。
これじゃあ問題行動が出るのは仕方のないことです。
こんな仕打ちをしておいて、その上犬に「癒し」を提供することを求めるんですから人間は身勝手につきます。
まずは人間側はやるべきことをしっかりやってあげれば、その結果犬に癒されることはあるかもしれませんが、癒されることを目的に犬を飼ってはいけません。
これもある意味、犬を癒されるための「道具」扱いしていることになります。
癒されたいのならマッサージ機でも買うかエステにでも行った方がいいです。
犬と暮らしたいから犬を飼う
一人暮らしだった頃、「何人暮らし?」と聞かれると、「犬2頭と暮らしてます」と答えてました。
わたしの中では本当にそういう認識だったんです。
わたしはのんちゃんもるーこも本当に家族だと思っているし、友達として信頼もしています。
家族として、友達として一緒に暮らしたくて、わたしは犬を飼いたいと思っていました。
犬と一緒に暮らすためには、犬は道具ではなく自分の意思や考えを持った一つの「人格」だと認識しないといけません。
それが出来ないと、ドッグスポーツのためとか、情操教育のためとか、インスタ映えのためとか、癒しのためとか、犬を何かの「道具」として見てしまうのです。
犬を「道具」として見ると、道具に勝手に動かれては困るから、信用できない信頼できないと自由にはさせないし、命令して言う通りに動かそうとするんでしょう。
意思も人格も持った「犬」という存在と一緒に暮らしたいから、暮らす。
犬と暮らす理由は別にそれでいいんだと思うし、それが正解です。
犬と一緒にあれをしたいとか、犬にこれをして欲しいとか、そういう目的を持って犬を飼おうと思うとどうしても犬を「目的を果たすための道具」として見てしまうことになります。
犬を飼っているという人は、犬を何かの道具として扱ってしまっていないかよく考えてみましょう。
これから犬を飼いたいという人は、なぜ自分が犬を飼いたいのか、何かの目的を果たすためでないかを考えてみましょう。
「犬を飼う」ではなく、自然と「犬と暮らす」という言い方が出来るようになれば、犬に対する見方も変わって来るのではないかなと思います。
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♪おまけ
昨日(もうおとといか)の夕方も嵐が凄まじかったです。
風はあまりなかったんだけど、雨がもう何ですかねあれ、うちの地域の上空だけ台風でも発生してたんでしょうか。
直前まで雨雲レーダーで見てた限りでは雨が降る予報もなかったんですけど、急に雨雲湧いて市内全域真っ赤になりました…なにあれ予測不能じゃん。
1時間くらい同じ勢いでザーッと降って、雷もどこかに行くことなくずっとゴロゴロいってて、1時間たつとピタッとやみました。
北側は晴れて来てるけど。
南側はまだ土砂降り。
何これwww
雷が怖いくせに窓を開けてると覗き込んでくるのんちゃん。
これから毎日これなのかな~困っちゃうね。
家にいればそばにいてあげられるけど、仕事だとちょうど帰宅時間と重なるからあの雨だと職場から出られない。
ある意味帰宅難民。
ジルケーン飲ませてるけど、この嵐じゃ効果もないようなものだなあ。
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