批判されて考える:「反面教師」書いてもいないことを批判されるのは単純に不快である

書いてもいないことを批判されるのは気分がいいものではないですね。

こんにちは!

犬になりたい犬育ブロガーの瀧沢かいるーです。

さて今回も引き続き、今日もわたしの記事の批判記事を読んで気になったことに対するわたしの考え方のお答えです。

  1. 飼いやすい犬種のしつけに成功したところで
  2. 猟犬ではなく牧羊犬なので闘争本能が低く温厚でめちゃくちゃ頭が良い
  3. 仰向け抱っこは「安心感」を与える
  4. 犬・オオカミは群れを作るのか否か
  5. その他

今日は5番目の「その他」についてです。

今までの「批判されて考える」記事

▼もととなった記事はこちら。
『「犬のしつけに主従関係は要らない!」という妄言。』
https://chinokobito.net/blog/dog/2018/12/14/post-545/

批判記事を読んでちょいちょい気になったところ、あるいは、そんなこと書いてませんけど、ということを
書いたていで批判されているところについてお話します。

  • 批判するなら批判する対象の記事をよく読んで下さい。
  • わざわざ教えてもらわなくてもよく知っています。
  • いちいち「これはジョークです」と注釈が必要ですか?
  • 書いてもいないことを「書いた」ていで批判されるのは気分が良いものではありません。

この4つを言いたくなるのって批判記事あるあるだと思うんですよね。

では一つ一つ見ていきます。

今まで通り、批判に対するお答えというよりも、こういった考え方に対してわたしがどう答えるか、を考えながらお話していきます。

が、所々わたしの鬱憤晴らしが入っておりますのでご注意下さい。

*この記事は2018年12月に投稿したものをリライトしました。

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「自分が犬のボスとして赴任するつもりで犬を飼いなさい」

以下引用。赤文字はわたしが色をつけました。

私がよく言うのは、
「犬を家族として迎えるな、自分が犬のボスとして赴任するつもりで犬を飼いなさい」
というものです。
飼い犬がトラブルを起こした時に、「うちの犬はおとなしくて良い子なのになぜ」なんていう飼い主は、犬を家族にしてしまっているがゆえに犬のことを理解できていないのです。

犬のことを理解出来ていないというのは犬のことを家族にしてしまっていることが原因ではありません。
そもそも「家族」がトラブルを起こしたら「家族」が責任をとるのは当たり前のことです。

自分を「ボス」なんて言っている人の方が犬がトラブルを起こした時に「自分はちゃんとしつけをしているのになぜ言うことを聞かないんだ」と、
トラブルの原因を犬のせいにしがちです。
トラブルが起きるような状況に犬をおいた自分が悪いとは考えないものですね。

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「リーダーだなんて思いますか?」

以下引用。赤文字はわたしが色をつけました。

「生活習慣も考え方も、第一種族も違う相手のことなんて、リーダーだなんて思いますか?」

この筆者さんは、同じ口で「犬は家族」と言っています。
生活習慣も考え方も、第一種族も違う相手を家族だなんて思えますか?
と指摘されたらどう答えるんでしょうかね。

正しくは、「生活習慣も考え方も、第一種族も違う相手に命令されたところでリーダーだなんて思いますか?」です。
批判するなら批判する対象の記事をよく読んで下さい、という良い例ですね。

それと、ご指摘に対する答えですが、わたしは普通に「はい。思います」と答えます。
生活習慣も考え方も、種族すら違う相手のことを理解し歩み寄ろうとし、共感し、家族や仲間だと思えるところが、人間の良いところであり、悪いところでもあると思うのですが。

そんな相手と家族にも仲間にもなれないという考えがある人が「ボス」として赴任するんでしょうね。

 

「こんなに可愛い犬がリーダーになろうとしているだなんて妄想にすぎない」

こんなに可愛い犬でも、よその犬や、ときに人を噛み殺すことがあることをご存知ないのでしょうか。

ご存知ですとも。

わたしの祖父は訓練中の警察犬(軍用犬?)に指を噛み千切られて、左の小指がない人でした(決してヤのつくご職業の人ではありません)。
学生の時、セントバーナードに襲われたチワワが下半身不随になったのも知っています。

長らく犬の攻撃性はリーダーになろうとする行動だと考えられてきましたが、全く関係ないものです。
普段から暴力的な接し方をされていたり、力で抑圧されていることが多くの原因です。
チョークチェーンを日頃からつけられている犬の多くに攻撃性が認められています。

なぜ犬が攻撃的なのか、その原因を考えなければ根本的な解決にはなりません。
しかしそれはけっこう大変ですし、「アルファ論」やら「リーダー論」やらが原因だと考えてしまえば楽なので、
なかなか浸透していかないんですけどね。

 

「人間が支配するよりも犬がリーダーの方が良い」

もはや何の話をしているのかも分からなくなってきましたが、こういう手合いにはよくある思想です。

この人ジョーク通じないんですかね。

いちいち注釈つけないとダメですか?「これはジョークです」って。

 

飼った時点で虐待になる犬種

日本の都市環境では飼い始めた時点で虐待になるような犬種がいます。それは必要運動量が極端に大きい犬種です。

「普通の人はこういう犬種を飼うのはやめて」と言うのがモラルだと私は思うんですよ。

まるでわたしがどんなに犬に適さない場所に住んでいる人にでも「どんどん犬を飼え!」「どんな犬でも飼うがいい!」
って言ってるみたいな言いぐさですね。

都会のコンクリートジャングルではこの方が挙げている犬種だけでなく、どんな犬種であろうと犬なんて飼うべきではないし、
犬のために引っ越せるくらいの気概がある人でないと飼ってはいけないと思っています。

以前、東京のマンション暮らしで近くに土のある公園がない場所に住んでいる人がボーダーコリーを飼いたいと相談してきたことがありますが、全力で考え直すように説得しました。
結局その方は田舎の方に引っ越して飼われたそうですが。

場所によっては飼うだけで虐待になるというのには激しく同意です。

ただ、運動についてはちょっと違います。

コリー系なんて1日で100km前後走り回る犬種ですよ。健康を維持するための運動量を1/3だとしても30kmは走らせないといけないことになります。

確かに牧羊犬として現役で働いているコリー系は100km走るでしょうが、それくらい走れるというだけで必ずしもこの運動量が必要なわけではありません
第一、日本ではそんなに走る牧羊犬は滅多にいないですが、オーストラリアやニュージーランドなど広大な牧場で100km走るような犬たちは、
何日かごとに交代で仕事をしていますし、良心的な牧場主ならそうさせるのです。
いくら牧羊犬といえど、毎日それくらいの距離を走らせたら体を壊すからだそうです。

一般家庭で飼われているコリー系犬種にこれだけ走らせようとしたらやはり体を壊しますし、まず走りませんし走れません。

牧羊犬として働き代々繁殖されてきた犬たちと、家庭で暮らし家庭犬として繁殖されてきた犬たちとでは、
まずスタミナが違います。
従って、必要運動力も違います。

また、コリー系犬種であってもリードを外して自由運動をさせると、走り回るよりもその辺をゆっくり歩き回って探検したり、
匂い嗅ぎをしていることがほとんどです(落ち着いた犬であれば)。

運動力が多いと言われる犬種であっても、運動させることよりもいかにその子のやり方でリフレッシュさせてあげるかが大事です。

 

ハーネスと散歩について

この筆者さんはその「友達」にあろうことかハーネスをはめて歩くそうです。さらにはその友達が勝手に走り出そうとしたら自分が立ち止まって首を絞めるそうな。

まるでわたしがチョークチェーンをハーネスに変えただけで、犬にガツンガツンのジャークをお見舞いしながら歩いているかのような言いぐさですね。
例えわたしの文章を読んでそう感じたのだとしても、こういった誤解を招くような表記はやめていただきたいものです。

確かに、ただ立ち止まるだけでは犬に対して力が加わるのは避けられません。
なので、できるだけ犬に負荷がかからないよう幅広のハーネスにしたり、リードを滑らせながら固定したり、固定する時もガツンとやるのではなくヌルッと固定したりと、
いまだに色々と試行錯誤中です。

ハーネスなんてつけなくてもいいなら、ノーリードノーハーネスが一番いいんですけどね。
むしろその方が散歩の問題なんて出ないのではないかとさえ思ってしまう。

 

犬は褒めてしつけるのに

これは批判記事とは別記事に書かれていたことなんですが「犬は褒めてしつけるのに」とありました。

わたしがいつも言っているのは「褒めるしつけ」ではなく「叱らないしつけ」です。
「叱らないしつけ」の反対が「褒めるしつけ」ではありません。

褒めるしつけというと、犬にオスワリや伏せをなどを教えて褒めたり、散歩中におやつを使ったりということを連想する人が多いので、
最近は使わないようにしています。もちろん褒めるのも大事ではありますが。

なのでわたしはいつも「叱らないしつけ」あるいは「何もしないしつけ」と言っています。

 

「そんなこと言っていません」ってこと

どこをどう読んでそう解釈したのかはわかりませんが、言ってもいないこと、書いてもいないことをなぜかこの方は批判されていました。

「我慢を覚えさせることが肝要」?

「我慢することを覚えさせることが肝要」みたいなことが書いてあったと思うんですが

そんなこと書いてません。

強いて言うならこちらの記事「アルファシンドロームなんて大ウソ!」にこの方がそうと誤解されたのかなと思う記載がありましたが、
いずれにしろよく読まずに「書いてあったと思うんですが」という程度の思い込みで書いているということです。

「我慢できてしまうから問題がないように見える」というところには同意します。

ムツゴロウさんと坂上さんについて

「坂上忍は犬を怒鳴りつけて威圧するので本当の犬好きではない。一方、ムツゴロウさんは犬に言い聞かせて理解させている」とムツゴロウさんと対比させる形で坂上忍を批判しています。

そんなこと書いてません(二度目)。

念のためムツゴロウさんと坂上さんについて書いた記事を読み返しましたが、そんなことを一言も書いていません。

動画についてもムツゴロウさんの怒鳴り声よりも「志村動物園」で放送された坂上さんの怒鳴り声の方が遙かにデカイです。
怒鳴るという点では共通していますが、論点はそこではないのです。

そもそもわたしが「坂上さんって本当に動物好きなのかな?」って思ったきっかけはサンタの件です。
前足が片方ないサンタに対して義手を作ってあげたいというのはわかりますが、引き取られたばかりでストレスいっぱいのサンタを慣れない人前に出したり、
テレビに出したりしているのを見て、少なくとも犬の気持ちに配慮できない人ではあるんだろうなとは思っていました。

詳しくはコチラの記事をどうぞ。

反面教師

書いてもいないことを「書いた」ていで記事にされ批判されるというのは単純に不快です。

と同時に、良い反面教師にもなります。

わたしもネットで見つけた記事について書くことがあるのですが、そこに書かれていることしか書かないように気をつけているし、
書かれていることからわたしが感じたことを書く時には「これはわたしが感じたことです」と書くようにしているので、
これからも注意しようと思いました。

 

批判されて考える

今回の件で、批判されるのも案外悪いことではないなと思いましたね。

批判してくる人というのは180度とまではいなかくても自分とは違う考えを持つ人のわけですから、
そういう人たちからわたしの考えがどう見えているのか、客観的に知る良い機会になります。

同時に、言葉で伝えるのってすごく難しいんだなと感じました。

ペットショップで働いてた頃は、飼い主さんを目の前にしてお話出来たし、愛犬を連れて来てもらえればその場で実践して、
見てもらうことが出来たので、多少言葉足らずであっても伝わったんです。

でも、ブログだとわたしが書く文章だけが情報を伝える全てです。

記載漏れや言葉が足りないことがあると、簡単に誤解されるし、その誤解が批判のもとになることもあるんだなと感じました。

改めて、言葉で伝えることの難しさを感じたので、これからも伝わりやすく読みやすい記事を心がけていこうと思います。

あと、書いてもいないことを「書いた」ていで批判されるのは単純に不快でした(二度目)。

わたしも気をつけます。

 

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おまけ

おとといの夜、我が家のすぐ隣りの家でぼや騒ぎがありました。

12時過ぎくらいでしょうか。
せっかく久しぶりに11時前に寝たというのにサイレン鳴らしてやって来ては帰り、やって来ては帰って行く消防車や、
飛び交う無線の音に起こされ、野次馬根性でつい外に出て見てしまうという。

鍋を火にかけたまま放置してしまったのが原因のようで、すぐに鎮火されたんですけど、
そのままなかなか寝付けずに昨日は寝不足でした…

いつも起きない時間に起こされた犬たちも寝不足。

特にのんちゃんは散歩も短めにすませてずっと寝てました。

謎の寝姿。
クッション使って音をシャットアウトしたいくらい眠かったのかしら?

皆様も火の不始末にはお気をつけ下さいませ~。

・・・あれ、結局また寝姿だしw
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