犬は「犬である」ということを愛されるべき。
こんにちは!
犬になりたい犬育ブロガーの瀧沢かいるーです。
今日は、犬に対する「評価」のお話をします。
わたしたち人間は、何かと評価をしたがり、優劣をつけたがります。
あの人よりも自分の方が優れているはずとか、他の人に認めてもらえるような人間になりたいとか、もっとひどいと、あの人よりも自分の方がマシだから幸せだとか。
そんなことを、心のどこかで考えている人は多いのではないでしょうか。
というか、考えない人がいるでしょうか。
そして、わたしたちの一方的な評価や優劣というのは、犬や猫などの動物に対しても向けられています。
そんなつもりがなくても、あそこの犬はよくしつけが出来ているとか、それに比べてあの家の犬はよく吠えるだとかというのは評価であり優劣です。
動物というのは自分に正直な生き物です。
嫌なことはやらないし、自分の好きなこと・必要なことだけをして生きています。
だからそこに、人間的な解釈で評価をしたところで、犬たちにとってはどうでもいいことなのです。
犬というのは「犬である」というだけで全てを愛されるべき存在なのに、そこにつまらない評価を持ち込んで「うちの子はダメだ」とか、「もっといい子にしなきゃ」と思っていないでしょうか。
今日は、そんな人間的な解釈での評価は無意味だというお話をします。
よその犬と比べて「うちの子はダメだ」とか、愛犬のことを「バカ犬」と一度でも言ってしまったことがあるという飼い主さん、ぜひ読んでみて下さい。
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犬に対する無意味な「評価」
人間の子どもに対しては、テストの成績で測られる「学力」という一面的な基準によってされる評価があります。
学校での学期ごとのテストの成績はもちろん、通知表での評価や、学習塾でのテストの点数、全国統一テスト、さらにはお受験や進学した高校や大学のレベルなど、子どもに限らず「学力」というのは、一人の人間を評価する上で一番わかりやすい指標になっています。
一方で、最近では学力だけでなく、もっと他の能力や性質、個性などを認めてそれを伸ばしてあげようという動きもあります。
しかし、犬に対してはいまだに「しつけ」以外の評価はあまり聞きません。
あとは外見、珍しい犬種であるということくらいでしょうか。
なので飼い主は、これが犬の評価基準であると思い込んでしまいます。
トレーニングをしていたらなおのこと、与えられた課題をクリアできなかったり、他の人と同じペースで進められなければ、バカ犬、ダメな犬と思ってしまうでしょう。
「バカ犬」「ダメ犬」という不当な評価
特に犬の場合、「しつけが出来ている」というのが「いい犬」であり、そうでない犬は「バカ犬」「ダメ犬」という評価をされることが多いです。
人間が考えたコマンドに従うと頭が良い、賢い、従順などと言われ、そうでない犬は「わがまま」「強情」「バカ」などと不当な評価を受けるのです。
コマンドに良く従うかそうでないかというのは、その犬種の作出目的により異なります。
人間によって人の言うことを聞くのではなく自分で考えて行動するよう作られたのに、そのせいで「バカ犬」と言われたのでは犬もたまらないでしょう。
》批判されて考える:「牧羊犬」「と「猟犬」頭の良さの違いは仕事と作出目的の違いにある?歴史の違いを理解しよう
「バカ犬」とか「ダメ犬」というのは犬にとっては何の意味もないことです。
わたしは基本的にコマンドは教えないので、コマンドに従えない犬はバカ犬などという判断基準からしたらのんちゃんもるーこもバカ犬になります。
でも、のんちゃんもるーこもわたしとちゃんと意思疎通が出来るし、自分で正しいことを考えて行動出来るので、コマンドを教えておけばよかったと思ったことはありません。
のんちゃんはオビディエンストレーニングをしていたことがあるので、一通りのコマンドは覚えていますが、もう何年も使っていないので多分忘れています。
愛情を込めたつもりであっても、「バカ犬」というのは決して犬には言ってはいけないし、ご近所さんとの世間話で「うちの子はほんとにバカ犬で~」なんて口が裂けても言ってはいけません。
コマンドをよく覚えているか、よく言うことを聞くかなどというのは、そうすれば人間が快適に生活できるというだけのことです。
犬にとってはコマンドをたくさん覚えたところでメリットは特にないのです。
なので、人間目線で「頭がいい」と評価されたところで、何の意味もないということです。
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犬は「犬である」ことを愛されるべき
コマンドをたくさん覚えてよく言うことを聞き頭がいいだとか、毎月トリミングに行って見た目がきれいだとか、日本ではあまり見かけない犬種だとか、珍しい毛色だとか。
そんなのは犬にとってはどうでもいいことです。
人間側が勝手に人間目線でつまらない評価をしているに過ぎません。
わたしはそもそも、犬の価値は人間が決めるものではないと思っています。
犬は「犬である」ということを愛されるべきであり、犬であるというだけでいいのです。
もしわたしたち人間が、どこか遠い星からやって来た宇宙人から、彼ら目線の独断と偏見で価値ある人間と、価値のない人間に分けられて評価されたらどう思うでしょうか。
侮辱されたような気分にならないでしょうか。
犬に限らず動物というのは、みな等しく尊重されるべきです。
それで充分であって、他と比べて優れているとか劣っているとかいうのはどうでもいいことです。
犬についても、また自分自身についてもそう考えると少し楽になります。
犬は犬であるだけで十分、うちの子はうちの子であるだけで、それだけでもう十分なのです。
犬は犬であるだけで十分というお話はコチラの記事「犬は愛されるために生まれてきたのだから「全て」を愛されるべき」でも書いています。読んでみて下さい。
「評価」よりももっと大事なこと
つまらない評価をしてそれにとらわれるよりも、もっと大事なことがあります。
目の前にいるあなたの愛犬が、幸せそうにしているか、それが最も重要なことです。
他人が下すつまらない評価に振り回されて、愛犬に辛い思いをさせていませんか?
この犬種は大変だから小さい頃から厳しくしつけなければいけないと言われて、トレーナーから指導を受けていたりとか。
もっときれいにしてあげなきゃダメだと言われ、毎週のようにシャンプーしていたりとか。
珍しい犬種や毛色の犬が欲しいからと、よく調べもせず犬を飼える環境でもないのに飼ってしまったりとか。
あなたが評価に振り回されて起こす行動は、犬を不幸にしているかもしれません。
何度も言いますが、犬は犬であることを愛されるべきであり、それだけで十分なのです。
評価よりも何よりも、犬が幸せであるかどうかということが最も重要なのです。
犬の幸せについてはコチラの記事「「あなたは犬に生まれ変わりたいですか?」わたしがブログを書く理由」でも考えています。あわせて読んでみて下さい。
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♪おまけ
本日、妹により「じゃじゃ」という新たなあだ名をつけられたのんちゃん。
じゃじゃ馬の「じゃじゃ」だそうw
確かに、今でこそ落ち着いてお嬢様オーラ出してるのんちゃんだけど、ストレスいっぱいだった頃は時々散歩してくれる妹(当時同居)を引きずり倒す勢いだったもんな。
妹がちょっと動くだけで突撃して行ったし、妹からしたら当時の印象の方が強いのでいまだにのんちゃんは「じゃじゃ馬」なのだとか。
だから「じゃじゃ」w
改めて「じゃじゃ」だった頃を思い返すと、今はほんとうに落ち着いたな~って思います。
あの頃は全然寝なかったし、いつ見ても目が合うといった感じ。
ちょっと動けば立ち上がってついて来て、トイレに入ればドアをこじ開けて入って来ようとする分離ストレスっぷり。
散歩もまったりどころの話じゃなくもはや競歩。目血走ってゼエゼエ言ってるのにグイグイ引っ張る。
留守番中は家の中で大運動会だった模様。
あれから5年たつけど、今じゃすっかりまったり犬。
時間はかかるかもしれないけど、地道に淡々とやることやってればちゃんとまったり犬になるよ、といういい例です。
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