犬は「ウォーキングのお供」で「情操教育」のために飼う?
こんにちは!
犬になりたい犬育ブロガーの瀧沢かいるーです。
こうやってパソコンに向かってると、台所の方からガタガタ、と音が聞こえてくることがあります。
ん?何だ?と思って見ると、のんちゃんが前足で水入れをひっかいているのです。
見れば水入れは空っぽ。
「水を入れろ」と言っているのです。
うちは犬が3頭いるので、水入れがいくつあっても空っぽになるのが早い。
水入れを大きいのにすると、小型犬の実家プードルはもちろん、
のんちゃんもるーこも尻込みして飲まなくなる…
溺れるとでも思うのかしら。笑
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少し前に、友人が河原で子犬を2頭見つけ、里親を募集したという話を書きました。
▼確かこの記事の冒頭
犬を捨てる人ってどんな人?
その時に、何人かの里親候補者を断ったと聞きました。
なぜ断ったのか聞いてみると「ああ…これはわたしでも断るわあ」という内容。
今日はその中から2つの例を紹介してみたいと思います。
70歳の老夫婦のウォーキングのお供に
子犬たちの里親募集を始めてすぐに、
「70歳過ぎた高齢の夫婦が子犬を欲しがっているのでもらえないか」
というお問い合わせがあったそうです。
お問い合わせを下さったのはその老夫婦の息子さんで、両親とは離れて暮らしており、
何でも、老夫婦がウォーキングのお供に犬を飼いたいのだそうです。
両親に何かあった時は自分が面倒を見ると言っていたそうですが、
問題なのはその「何かあった時」です。
高齢者はいつ何時倒れるかわからないのです。
わたしの住んでいる近所は高齢者がとても多く、こう暑いとよく救急車のサイレンを聞くし、
すぐ近くの家のご老人がつい先日も救急車で運ばれていきました。
老老介護をしている家もあるし、認知症を患っているという方が時々行方不明になります。
例え高齢でも健康な人たちであっても、夫婦どちらかがいつ介護が必要になるかわかりません。
介護が必要な人が出てしまうと、自分の生活も成り立たなくなることが多くあります。
仕事を辞めなければならなくなるかもしれないのです。
わたしは高校生の時「福祉科」の生徒だったので、高齢者福祉について学んできました。
身近でも介護に大変な人たちを見ていると、高齢の両親に犬をプレゼントするというのは賛成出来ません。
愛護団体の里親募集でも、高齢者は不可となっているところがほとんどです。
問い合わせを下さった方も、すでにいくつかの愛護団体には断られたそうで、
個人で里親募集をしているのでいいかと思って友人に問い合わせをしたようです。
自分の生活もままならなくなるという状況に陥った時に、一番しわ寄せを食うのは、犬たちなのです。
高齢の親が飼っていた犬猫を、その子どもたちが保健所に持ち込むというケースは多くあります。
何とか飼い続ける場合でも、長時間留守番させる、ほったらかしにする、散歩も行かないということになりかねません。
ある程度年を取ったら、どんなに犬好きでも犬を飼わないという選択をすることも必要なのです。
その点では、坂上忍さんの「最後の犬」というのはすごく賛成出来ます。
友人も、この方は丁重に断ったと言っていました。
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子どもの情操教育のために
またある時はこんなお問い合わせも来たそうです。
「小学2年生と幼稚園児の子どものために犬を飼いたい」
と言うのです。
これもよく聞く理由ですが、犬の飼育は情操教育と何の関係があるのでしょうか。
情操教育ビジネスによってうたわれているのは、生き物を飼うことによって、
責任感が養われ、命の尊さを知って、生き物に対する愛情が生まれる云々かんぬんというようなことです。
控えめに言って呆れて開いた口がふさがりません。
責任感を養うというのは、子どもに飼育を任せるというようなことでしょうか。
まだ小学2年生と幼稚園の子どもに?
これが妹や弟など人間の子どもだったら、責任感を持たせるために面倒を見させる、
などと言うでしょうか。
もし本当に大切な命だったら、こんな幼い子どもに世話を任せたりしないでしょう。
例えば、トイレシートを交換するとか、新しい飲み水に交換するとかいうようなことであれば、
別に犬がいなくても出来るのです。
それに、排泄や飲食に関しては健康に直結することなので、子どもに任せるべきではないのです。
また、命の尊さというのは動物と暮らしていれば自然に芽生えるかというと、
必ずしもそうとは言えないのです。
そもそも「ペット」の命というのはお金でやりとりされていることがほとんどです。
また、いらなくなったら産業廃棄物として捨てられる。
畜産動物は言うまでもなく、野生動物も「害獣」と見なされて「駆除」されたり、
動物園やサーカス、動物番組で見世物にされるのです。
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そういう状況の中で動物と暮らし、芽生える愛情とはどんなものでしょうか。
モノへの愛着と変わらないのではないでしょうか。
特に犬については、しつけやトレーニングと称して人間の都合を押しつけるような支配的な接し方が一般的ですし、
むしろ子どもには悪影響の方が大きいのではないでしょうか。
人間は支配者で、犬は人間の言うことを聞くもの、自己主張してはならず、
最低限の欲求も人間都合で制限されるのです。
そして逆らえば罰が下される。
道徳心を養うというものなどからはほど遠いものです。
実際、情操教育のために犬を飼ったけれど、子どもが大きくなって家を出て行ったからもういらないと、
犬を保健所に持ち込むケースもあるのです。
もし本当に子どもの情操教育のために犬を飼おうというのなら、
親が犬に対して正しい接し方が出来ることが大前提です。
子どもに世話を任せるのではなく、親が犬にご飯をあげ、散歩に連れて行き、水をやり、
必要なしつけをして、トイレシーツを変えて掃除をし、正しく接してあげることで、
その姿を見ることで子どもの情操教育になるのです。
子どもが大人になって犬を飼うという時に、その親の姿を覚えていれば、
同じように正しく犬に接することが出来るでしょう。
また子どもがいることで犬にストレスがかかっているというケースも多くあるのです。
映画などでは犬と子どもは最強の組み合わせと言われていますが、
現実ではそう上手いこといきません。
この組み合わせが最悪の事態を引き起こすこともあるのです。
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犬はモノではない
誰かのためにとか、何かのために、都合よく犬(や他の動物)を利用するというのはやめましょう。
犬というのはウォーキングのお供とか、子どもの情操教育なんかのために利用するのではなく、
自分で飼いたいと思って、なおかつ飼える環境を整えて、飼うべきものなのです。
犬はモノではありません。
人格を持つ存在は尊厳されるべきといいます。
21世紀に入って人格や権利が認められるようになってきた動物たちにもまた、
同じように尊厳を持って接するべきなのではないでしょうか。
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♪おまけ
たまたま撮れたのんちゃんのコワイ顔…
ヒィイ…!!
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