「飼う」という考え方がダメ。
こんにちは!
犬になりたい犬育ブロガーの瀧沢かいるーです。
今日は、犬を「飼う」ということについて考えます。
河原で保護した老犬を安楽死させるという選択をしてから、1ヶ月がたちました。
その時の記事はコチラ》河原で助けた老犬を安楽死させました
あの時間はまるで、現実ではないみたいに時が過ぎていくのが早くて、何もかもあっという間でした。
でもこれ以上ないってくらい色々なことが起こり、そのどれもがとても濃密な体験でした。
まさか自分が、出会ったばかりの犬に対して「安楽死」という選択をするとは思ってませんでした。
のんちゃんとるーこが病気になって手の施しようがないってなった時に、安楽死という選択をすることもあるかもしれないとは思ってはいたけれど。
でも、出会って数時間の見ず知らずの犬に対して、自分がそんな選択をするようになるなんて、考えたこともなかった。
虹の橋へ旅立った後の老犬の遺体を引き取り、火葬してくれた保護団体の方が連絡を下さった時、こんなことを言っていました。
「あの子は飼われていった先が悪かった」
って。
よく、犬の一生はどんな飼い主にもらわれるか次第と言われていますよね。
人間に従属する犬にとってそれは「定め」だと言っている人もいます。
でも、これを聞いた時、それって違うんじゃないかって思いました。
犬の一生が飼い主に左右されるっていうのは、それはわかる。
でも、何か違う。
どんな犬でも幸せな一生を過ごす権利があるのに、それがどんな場所にもらわれるか、どんな飼い主に飼われるかで左右されるって、とっても矛盾してるしそんなことあっちゃいけないはずなのでは。
犬は幸せになる権利があるということは、犬を飼う人はその犬が幸せな一生を過ごせるようにしてあげる義務があるということだと思うのです。
今回は、犬を「飼う」ということについて、わたしなりに真剣に考えてみたいと思います。
全ての犬の飼い主さん、犬に限らず猫やその他動物を飼っているという方、これから動物を飼おうかと思っている方、動物が好きだという方、ぜひ読んでみて下さい。
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目次
犬の一生は「行先」と「飼い主」次第?
よく言われますね。
犬の一生の幸せは「行先」と「飼い主」次第だ、って。
そう思わざるを得ない犬たちのケースを2つご紹介します。
埼玉のボルゾイのケース
先日、1週間くらい前でしょうか。
仕事が休みで、昼間にニュースを見てると、とある家で飼われているボルゾイのニュースをやってました。
見た方いるでしょうか。
埼玉のある一般家庭で飼われているボルゾイ数頭のニュースで、とくダネ!でやってたんですけど。
途中から見始めたので詳細はよくわからないのですが。
どうも、ろくに世話もせず放置虐待した挙句、排泄物のにおいをおさえるために周囲に漂白剤をまいたとのこと。
え?周囲にって、犬の周囲にってこと?
え?何やってんのこの飼い主。
見てて茫然としました。
テレビに映る犬たちの飼育環境はあまりに劣悪。
錆びついたゲージがいくつも置かれ、その周りには糞尿が放置されていました。
ボルゾイの1頭が、ゲージの中でピクリとも動かないで横たわってたんですけど、あの子は助かったんでしょうか。
ボルゾイって、すごくきれいな毛並みの持ち主なのに、漂白剤のせいなのか糞尿がついたままでただれてしまったのか、毛はバサバサになっちゃってて目の周りも荒れてしまっている子もいました。
飼い主の夫婦が言うには、「仕事などの忙しさから数ヶ月前から散歩や掃除が出来なくなった」とのこと。
でも、飼い始めてからここ4、5年くらいであんな劣悪な飼育環境になっていたそうです。
自分たちが悪いと反省はしているようだったけど…
反省だけじゃすまないでしょ、あれ。
見ててほんとに胸糞悪かった。
しおらしく反省すれば済むと思ってるんだろうか。
あれでボルゾイたちが死んでしまったらどうするつもりだったんだろうか。
見てて本当に胸糞悪かった(二度目)。
近所の和犬ミックスのケース
こういう、犬の一生は「行先」と「飼い主」次第なケースはけっこう身近にもあるものです。
うちの近所に、こんな場所で飼われている和犬ミックスちゃんがいます。
道路のすぐ横、日陰になるのは小屋しかない、足元はゴツゴツして小石だらけで、角が尖った石も転がってる。
120㎝くらいの鎖に繋がれて自由に動ける範囲は畳一畳もない。
左下に写ってる茶色い子がそうなのですが、この子最近見るたびに道路に出ちゃってるんですよね。
鎖が短くて首輪が首に食い込んで苦しそうなのに、それでも道路出て寝てるんです。
こんなゴツゴツした足元じゃあ痛くて寝られないよね。
日陰もないから暑いだろうし、冬は寒いだろうし。
小屋があるだけまだマシですが、この小屋も以前はなかったんです。
何度か飼い主さんとお話して、せめて小屋くらい作ってあげられませんか?とお願いをしてやっと作られたものです。
でも風通しは悪そうだし、中は蒸して暑いのか、ミックスちゃん夏は全く入ろうとしません。
よく見ると缶詰の缶がそのままおいてあったり、踏んだら怪我をしそうなガラスなんかもありました。
こんなの犬を飼う環境じゃないと思うんだけど、よくここで飼おうと思ったな。
さらに驚くべきことに、ここ、もう1頭犬を飼ってるみたいなんです。
この写真、どこで飼われてるかわかりますか?
左側の小屋は和犬ミックスちゃんが飼われてる場所なんですけど。
一見して、他に犬なんて飼える場所ないと思うでしょ?
でもいるんです。
写真右側の脚立が立てかけられてるところ、ちょっと突き出してるところに柵があるのわかりますか?
この中で、もう1頭、スパニエル系のけっこう大きな子が飼われているんです。
全然吠えないし、物音もしないのでもう1頭飼い始めたなんてわからなかったんですけど、先日、和犬ミックスちゃんと一緒にお散歩してる子を見かけて、そのまま散歩を終えてあの場所に入れられるのを目撃しました。
え?あそこで?ってびっくりしました。
のぞいたら中は暗くて日当たりが悪く、風通しも悪く、蒸し暑くてとても狭い。
スパニエル系のミックスちゃんだと思うんですが、のんちゃんよりも少し大きくて、あんなスペースではとても足りないんです。
時々のぞくと、奥の方でずっとうずくまっているか、スペースの中を行ったり来たりするという常同行動が見られるかのどっちか。
何でこんなところで犬を飼おうと思ったんだろう?不思議でなりません。
和犬ミックスちゃんだけならともかく、なぜ2頭も?
1頭だって飼える環境ではないのに。
虐待されているというわけではないみたいで(こんな飼育環境というだけで十分虐待のようにも感じますが)、毎日散歩に行っているのを見かけるし、ご飯ももらってるみたいだし、水も新鮮なのを入れてくれてるみたいだけど。
それにしたってこれはないだろうと思うのです。
ひと昔前は犬はみんなこんな感じで飼われてたと言われたのですが、ひと昔の前の犬はさぞ辛かっただろうなと思います。
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「行先」「飼い主次第」は犬の定め?
埼玉のボルゾイのニュースを見たあとに、いつも見てるブログ様でもこのニュースについて取り上げていました。
その中で、犬は飼い主を選べない、人間側が決めたら犬はそこにもらわれていくしかない、それで犬の一生が決まるのは「犬の定め」だ、みたいに書いてあったんですけど。
それを読んで、老犬を引き取ってくれた保護団体の方のあの言葉を思い出しました。
「あの子は飼われていった先が悪かった」
え、これダメじゃない?ってどっちも思いました。
何がとはうまく言えないけど、こういう考え方ってダメだと思う。
夏真っ盛り、日陰もない外に繋がれてゼエゼエ言ってる犬に対して、行先が悪かったね…で済ませていいものでしょうか。
どんなに暑い日、それこそ去年のような経験のない暑さでも。
逆に、人間が一歩だって外に出たくないような寒さの日でも。
ずっと外に繋がれていたり、例え室内飼いでも身動きが取れないような狭いゲージに1日中閉じ込められていたり。
そういう、いわゆる「虐待」との線引きがとっても難しいけど犬にとっては決して良くない「飼い方」に対して、行先が悪かったで済ませられては犬もたまったもんじゃないと思うのです。
確かに犬の飼い方はそれぞれの家庭で事情もあるとは思うけど。
最低限、犬の権利や自由を尊重した飼い方が出来ないのなら飼うべきではないとわたしはいつも言っています。
そもそもなぜこういう「飼い方」が虐待にならないのか不思議でならない。
アメリカで和犬ミックスちゃんのような飼い方をしたらアニマルポリスに捕まる案件です。
なぜ日本では許容されてしまっているのでしょうか。
犬の飼い方は人ぞれぞれだから他人が口を出すべきことではない。本当にそうでしょうか。
そうではないと思っているから、わたしは直接言える人には直接言ってるし、直接言えない人にも少しでも理解してもらうためにブログをやっています。
一生の幸せが「行先」と「飼い主」次第で大きく左右されることが、犬の定めであるなんて、絶対にあってはならないことなんです。
無理なら無理でさっさと手放せ
同じ、埼玉のボルゾイのニュースを取り上げてたブログには、こんなことも書いてありました。
最後まで面倒見ると心に決めて飼ったのだとしても、どうしてもそれが出来なくなってしまったなら、変なプライドは捨てて犬のためにギブアップすることも時には必要、だと。
良いことなのか悪いことなのか、日本には「飼ってる犬を飼えなくなりました」と言っても罰を受けるようなことはありません。
罰は受けないんだから、飼い続けるのが無理なら無理でさっさと手放してくれと思います。
こんななるまで飼い主のもとで放置虐待されるなら、さっさと手放してくれればもっと早く楽になれたのに、という犬をたくさん知っています。
ちゃんと勉強はしたけど思ってたより大きくなってコントロール出来ないとか、仕事が忙しくて十分なお世話が出来ず閉じ込めっぱなしとか、自分自身が病気や怪我で飼えなくなったとか、家族の借金が判明して犬どころではなくなったとか。
高齢の飼い主なら施設に入るようになるかもしれないし、飼い主の方が先に亡くなってしまうということもあります。
そういう時、犬を手放すなんてできないという変なプライドか、あるいは自分は可愛がっているつもりだからという間違った愛情で、犬をそのまま飼い殺しにするというのは最悪なケースです。
犬を思うのであれば、そして自分の生活をこれ以上破綻させないことを考えれば、犬を手放すという勇気も必要です。
その時上から目線で、「自分はこれだけ頑張ったしこれだけのことはやってきた、でも犬が悪かった」とのたまって犬のせいにする奴は助ける気も失せますが。
この場合、そいつのためじゃない、手を貸すのはあくまで犬のためです。
犬が悪いなんてことは絶対にないんだから、まずは自分の否をちゃんと認めて謝罪する。
そうすれば手を貸してくれる人はいるでしょう。
わたしみたいなおせっかい、けっこう多いですよ、犬のこととなると。手厳しいことは言われるかもしれないけど。
あの、河原で助けた老犬も、もっと早くに飼い主が手放してくれてたら、腫瘍も治ったかもしれないし、高齢だったとしても最後の時まで幸せに過ごすことが出来たかもしれないなと思うのです。
老犬は保護されても新しい飼い主を見つけるのが難しいとは言うけれど、それにしたってあんな、見ず知らずのわたしの友人に安楽死の選択をされちゃうようなことにはならなかったんじゃないかな。
「飼う」ではなく「暮らす」
犬に限らず、猫やどの他動物でも。
「飼う」っていうとどんなイメージですか?
犬なら、何となくどこかに閉じ込めたり繋いだりしておいて、人間がご飯をあげて散歩に連れて行って、人間が全て管理するみたいな、そんなイメージになりません?
人間が全て管理するものだから、管理しやすいように、閉じ込めたり繋いだり、「飼い方」に大きな差が出てきてしまうんですよね。
「飼う」っていう考え方、言い方がそもそもいけないのではないでしょうか。
「飼う」ではなく、「暮らす」という言い方にすればどうでしょう。
「飼う」よりもずっと、犬が身近で大切な存在に感じませんか。
一緒に「暮らす」のだから、どこかに閉じ込めたり外に繋ぐなんてこと必要ないし、ご飯や散歩は人間がやるけど全てを人間が管理する必要はない。
必要以上に干渉せず、嫌なことやストレスになるようなこともしないで、一緒に暮らす相手なんだから一緒にいて快適な生活が出来るようにしてあげる。
「飼う」よりも「暮らす」の方が、ずっと犬が幸せになれるような気がしませんか。
犬には幸せになる権利があり、飼い主の義務は犬が幸せな一生を過ごせるようにしてあげること。
っていうか、それが出来る人しか犬とか猫とか、動物と一緒に暮らすなんてしちゃいけないと思います。
その認識がもっともっと広まれば、この前の老犬のようなことも、らーちゃんみたいなことも、殺処分されてしまったボーダー君みたいなことも、近所のミックスちゃんたちや埼玉のボルゾイちゃんたちみたいなことも、なくなるのではないかと思うのです。
完全になくなるのは無理でも、もっと犬の幸せのために声を上げて、おせっかいしてくれる人が増えるんじゃないかと。
というか。
増えて欲しいなと思います。
犬の幸せについてはコチラ。
犬を飼うということについてはコチラ。
詳しく書いていますのでぜひ読んでみて下さい。
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♪おまけ
久しぶりの犬飯作り。
白米2合、カボチャ4分の1、オクラ8本くらい、鶏むね肉700g、昆布2枚(出汁とりよう)、水2L
お米は、火にかけてる間に一度でもかき混ぜたら、ずっとかき混ぜ続けないと焦げることがわかったので、弱火でず~~~とコトコト煮てます。
せっかちなのでちゃんと火が通ってるかしょっちゅうかき混ぜてみたくなるんだけど、我慢我慢…
昨日はは窓全開でも蒸し暑かったです…!風が全然入ってこない…
と思ったら。
お昼ぐらいに雨がちょっと降って少しだけ涼しくなりました…何なの。
夏場は犬飯作りも一苦労です。材料切ってるだけで汗出て来るし。
ゼエゼエ言いながら頑張って作った犬飯だから、きっと美味いぞぉぉぉ~~~♪
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老犬の記事、拝見しました。
読んだだけでも悔しくて涙が出ます。かいるーさんもご友人も大変な思いでご決断なされたと思います。お疲れ様でした。その子が安らかに眠れることをお祈り申し上げます。
うちの愛犬も見た目はほぼ甲斐犬のMIXの雌です。生後半年を迎え、「避妊どうしようかな」と思っていましたが、やろうと思います。まだ生理はきてないのでできるだけ早いうちに。
まったり犬を目指してとくにこれといったしつけもせず、ケージにも1度も入ったことのないうちの犬は「おいで」も「待て」もできないわがままお嬢様ですが、とても落ち着いています。
健康、幸せに「飼う」って本当はとてもとても難しいことですよね。
甲斐犬っぽい見た目の旅立っていったその子の分までうちの子は幸せにしようと思いました。
上手く気持ちがまとまりませんでしたが失礼します。本当にお疲れ様でした。
さるすべりさま
コメントありがとうございます。お返事遅くなり申し訳ありません。
何であんなことになっちゃったのかな~っていまだに考えます。
あの状態では安楽死という手段が最善だったのだろうと思いながらも、あの老犬があんな状態になる前に、誰か気づいて助けることは出来なかったのかなって。
家の中で放置虐待されていたのなら外から気づくのは難しいとは思うけど、それでも、あの子は助けを待ってたんだろうなって思うと悲しくて悔しくてどうにもなりません。
避妊手術、出来るのなら早い方がいいです。
のんちゃんは結局やらずこ7歳になってしまい、婦人病を警戒する日々です。
かといって性格的に病院に預けて手術されてっていうのは相当なストレスになると思うので、先生からもやめた方がいいって言われてしまってます。
「おいで」も「まて」も出来なくても、健康で元気に、落ち着いて穏やかな日々を送ってくれればそれで本当は十分なんですけどね。
それ以上のことを人間は犬に求めすぎだなってつくずく感じます。
あの子みたいな犬を少しでも減らしていきたいなと思います。
コメントありがとうございました。